橋本仙太郎さんのこと

                     橋本 仙太郎(はしもと せんたろう) 明治23年 (1890年) ~ 昭和15年 (1940年)

 香川県生まれ。香川県師範学校卒業。22歳の時より桃太郎研究をはじめます。


桃太郎三大伝説地のひとつ、高松の桃太郎伝説を創唱した人物で、本職は小学校の教員で大正2年の秋に、大隈重信が高松の鬼無駅を訪問された際

  「この駅は鬼無 (きなし) と読むのか、なかなか面白い地名である。

 住民もその名のように心に鬼を持たない平和で極楽な村となるように」

 との趣旨の訓示をされ、現地でこれを聞いた事から桃太郎への関心が一挙に沸き上がり、その後一念発起して研究に励んで、16年の歳月を経て昭和5年にその成果を地元の新聞に発表し、更に昭和7年には自費出版で「鬼無伝説 桃太郎さん 鬼ヶ島征伐」を刊行しました。

 

また研究の過程から、高松の北東4キロに位置する女木島に洞窟を発見し、ここが鬼の住処であったとして「鬼ヶ島」の名で呼ばれ親しまれるようになり、高松の桃太郎伝説は全国に広く知れ渡り、昭和初期には一大ブームとなりました。

 

桃太郎は吉備津彦命の弟の稚武彦命、犬は岡山県犬島の住人、猿は香川県綾歌郡の猿王地区の住人、雉は香川県鬼無町の雉ヶ谷 (かしがたに) 地区の住人で、鬼は瀬戸内海一帯を荒らしていた海賊たちの事であったと説いています。

 

戦争中に空襲で所持していた研究資料や執筆していた研究論文は全て失われてしまいましたが、郷土史研究の先駆者としてその功績は語り継がれ、桃太郎サミット高松大会が開催された際にはその名も大きく取り上げられました。

 

令和元年以降、ひ孫の手によって「散逸した関連資料の収集」や「高松桃太郎関連資料の収集」が行われて、それらの資料を元にした研究が試みられています。


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